将来の見通しも無いのに、都立大の大学院理学研究科博士課程に突入したのだった。 一応!?入試も有ったと思うが、記憶にない。まあ、修士の頃から荻上ゼミには 顔を出させて頂いてきたのだが。4月になり、スーツを着て入学式に向かったのだが、 何と1日間違っていて、M2の人に爆笑されてしまった!? 同期の人は全部で5人で、うち3人は修士から内部進学で、他の大学から来たのは自分を 含めて二人だった。結局その5人の内、一人は確か企業に就職して、あとの4人は大学の 教員になったのでした。当時、荻上ゼミでは助手として(学部は茨城大だった)E尻がおられ、 オーバードクター(ってわかりますか!?学位を取ったり、博士課程を単位取得退学したあと研究生 として在籍されていた)でTさんと、OMD氏が先輩でおられ、巨大な壁のような感じだったし、 1年下のM2には、のちに数学会理事長を勤められたK谷さん、N大医学部教授を最近定年退職されたUさんと G大教授をつとめられたTさんの3人がおられて、人生で最もプレッシャーがかかった期間であった。 荻上先生からは「博士課程に入ったからには、もう一人前の研究者であるので、 自分でやれ!?」というようなお言葉を頂いていた。そして、毎週土曜の午後のゼミでは、考えたことを 発表したり、論文の紹介をしたりしたのだった。 最初の頃は、古い校舎内の先生の研究室の黒板を使ってやった記憶があるが、途中から 中庭にできた新しい校舎の広めのセミナー室?でゼミが行われた。
そんな先が見えない中、別の研究室におられた清水さんから声をかけていただいて、 修士の時にも一度ゼミで読んでいた「Cecil-Ryan」の論文のゼミをやろうということになり、 詳細に読み直していった中で、この業界で何とかやってこられたきっかけ!?とも なった結果が得られたのだった。その後も、清水さんからは色々声をかけて頂いたのだが、 自分の力不足や個人的な状況などでお力になれず申し訳ありませんでした。
話戻って、荻上先生のあまり広くない研究室で先輩方もゼミをされていたのだが、 その中のOMD氏が当時ヘビースモーカーで、先生は煙草を吸わなかったので今では全く考えられないが、 「チップスター」?の空き箱?に先生が白い紙を巻いて 「酸素消費税」と書いて、OMD氏がゼミ中に煙草を1本吸うたびに、そこに毎回100円を入れていた。 あと、古い校舎の2階に渋い学食?があり、よく土曜の昼に先生と提供される弁当を一緒に 食べていた。その時に、自分の箸の持ち方がなっていないのを見て、箸の持ち方について 指導をして下さった!? 数学の方向性については、放置だった!?が、そのお陰で20代半ばでお恥ずかしい限りだが、 箸の持ち方がまともになった。ちなみに、その食堂ではちょっと綺麗な、演歌歌手みたいなお姉さん!? がおられたが、お元気だろうか!?しかし、その(世田谷区)深沢の校舎も、今ではマンションに!?
追記(26/5/20) 師匠には、ゼミでお褒めの言葉を頂いた事もあるし、論文の英語の添削なども していただきました。